清水エスパルスが世界一クラブになるまで続ける観戦記

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兵働昭弘選手、引退

あけましておめでとうございます。

バタバタしていてだいぶ更新から遠ざかっていました。

 

昨年11月のトピックですが、兵働選手の引退を迎えました。セレモニーの行われた神戸戦は大荒れで、かなり後味が悪い感じでしたが、セレモニーでは大粒の涙を流していました。

兵働選手は、自分にとってもかなり特別な存在選手だったので、思い出をつらつらと書いていこうと思います。

入団の2005年といえば健太監督就任一年目でかなり苦しいシーズンでしたが、よく考えたらこの年の同期は岡ちゃん、岩下、藤本など、その後清水を引っ張ていくような選手ばかりですね。当時の記事かエスパルスニュースで、「自分の出身地で、温かい雰囲気で迎えてくれるのであろう千葉県のチームを選択せず、あえて清水を選びました」という記事を見たのを覚えています。2006年には完全にスタメンに定着し、主に左サイドでの起用でしたが、当時は藤本と流動的に入れ替わって、右サイドのイメージもありますね。

2011年にレイソルに移籍したときは、正直、結構がっかりした覚えがあります(笑)。苦しい時期を乗り越えたエスパルスがこれからだ、という時期で、兵働選手は残ってくれると思ったので。苦しい決断だった、と、本人はのちに振り返っています。選手だって生活が懸かっているし、新しい環境を求めることは当然ですよね。天皇杯決勝の鹿島戦には出られず、その後レイソルへ移籍発表、という感じでした。

その後、千葉などを経て甲府に移籍するわけですが、移籍初年で副キャプテンを務めるなど、やはりキャプテンシーはさすがのものでした。甲府での1年は濃かったと本人が語っているように、チームにとっても大きな存在であったことだと思います。兵働選手に、清水に戻ってくるよう声をかけたのは、またも久米GMだったといいます。

左足の素晴らしい精度ゆえに、CK、FKからのアシスト、ゴールは数知れませんが、自分が思い出に残っているのは2009年の静岡ダービー。5-1で清水が大勝したのですが、背後からの難しいボールを、素晴らしいトラップからDFを置き去りにし、狭いシュートコースを見事についたゴールです。当時は何回も何回もゴールシーンを見返しました。

 

また、兵働選手といえば、甲状腺機能障害に苦しんだサッカー生活でもあったと思います。初期の清水在籍時も、何回か離脱したことを覚えています。長いサッカー生活では無論紆余曲折ありますが、持病を乗り越えてのこの活躍は本当に称賛に値します。

 今年の頭、同じく引退する植草選手とともに、エスパルスのスタッフ(スカウト)に就任するとの発表がありました。素晴らしいキャプテンシーを持っている選手であったので、個人的には指導者として戻ってきてほしいな、と思っています。

14年間、本当にお疲れさまでした。